ラリーとの出会いは幼少の頃何かの雑誌で見かけたアリタリアカラーのランチャストラトス。以来心の何処かにラリーカーにあこがれ、大学生時代、二十歳直前でラリーデビュー。学生時代は全日本チャンピオンの師匠のそばで技を盗みながら関東・東北地区の地方選手権に参戦を経て全日本ラリーへもチャレンジした。
1995年、当時インターナショナルラリーチームをもつサスペンションメーカーに就職。その年から海外ラリー挑戦をスタート。初戦はリタイヤとなったが翌1996年よりスバルインプレッサをドライブしてアジアパシフィック選手権参戦。セミワークスともいえるラリーチームにおいてハイレベルなコンペティションを数多く経験、これまでにWRC12戦、APRC7戦に参戦した。ベストリザルトは28歳となった2年目のWRCラリーオーストラリアで、日本人5人目となるグループN優勝を達成した。
1998年からは左ハンドルのラリーカーでの挑戦を始め、初戦ラリーオブタイランドでグループNながら総合2位を獲得、2000年にはアフリカ・ケニアで行われるサファリラリーへ参戦。海外と全日本選手権を掛け持ち参戦した2002年の北海道ノースアタックラリーでは総合優勝の経験もある。スノー、グラベル、ターマックとオールマイティに走れることを信条としているが、最も得意とするのはジャンプのある3次元形状のハイスピードステージ。特にペースノートを重視したハイスピードに強くリスクの少ないドライビングスタイルを追及している。
2001年からはラリードライバーとしての経験を生かしつつ多方面で活動開始。2002年に群馬で行われたインターナショナルアルペンラリーではセーフティオフィサーとしてスタッフ参加。2003年は新チームであるスバルディーラーチームでチーム立ち上げの全般をプロデュース。現在も海外のラリーチームなどでドライビングレッスンや車両製作に関する技術指導をおこなっている。2005年より北海道で行われるWRC・ラリージャパンでセーフティカーである″ゼロカー″を勤め、05‐06は左ハンドルのGpNインプレッサ、07年は発表直後の新型インプレッサGpNをドライブした。
2003年よりJRCA(全日本ラリー選手権アソシエイション)で日本のラリーの発展のために主に全日本ラリー選手権での諸活動を行っているが、ドライバーとしても各種テスト、インストラクター、雑誌等のインプレッションも積極的に行っている。